合掌
春風去りて、四国山河に、初夏の香り匂い感ずる季節に相成りました。
四国便り、遅ばせながらでありますが、私が、ちょっとした事により、入院した次第でございます。
入院中の窓辺の日差しを借りて、一筆したため候なり。
若き日より、鍛えし強健なる身体も寄る、年波にて、どうも鍛えが鈍ってきたような気がする、今日で御座います。
日々の反省と共に、退院すれば、心身一如の修法の、鍛え直しをしなければ、犯罪更生者の行功が、指導できなくなる。
そして、祖師、達磨大師の御前にて、三宝に帰依する大力徳を、更に求道の心を誓い、修行の日々を送ることです。
本来、犯罪更生者は、生まれ持った煩悩にまつわれ、諸々の罪とがを犯してきた。
少林寺拳法の教範の中に礼拝し、唱す。
我等この身今生に至るまで、深く三宝に帰依し、更生道の教えに従い、社会に役に立つ人づくりとして、礼拝するものである。
◎道訓曰く
道は天より生じ。
(人間の生命は大宇宙に与えられたものと信ずる。)
人の共に由る所とするものなり。
(生まれてきて、成長するに人と人の触れあい育つ。)
その道を得れば以て守るべく、その道を失すれば即ち迷離する。
(人としての守るべく道を守らず、正道に反すれば幸せの道はない。)
故に、道は須臾も離るべからず、所以なり、人生れて世にある時、人道を尽くすと貴ぶ。
(人間は、生まれてきた限り、悪行と悪果をしてはいけない人として善行、善業を積んでこそ人としての徳である。)
まさに人道に於いてはずる処なくば、天地の間に立つべし。
(善行を積み重ねることにおいて、人間として、大宇宙の霊気を、我の体中にいれ、堂々として、生きていくこと。)
若しく人あり、仁、義、忠、孝、礼、を尽くさざれば、身世に在りと雖も心は、既に死せるなり、生を偸むというべし。
(人として生きていく限り、五山五術、仁徳を磨き、義理を欠かさず、何の教えにも忠節を以て、礼節を尊ぶ生き方こそ、五箇条であり、人としての根本である。)
凡そ、人心は即ち神なり仏なり神仏即ち、霊なり。
(大宇宙のダーマの分霊の一粒をもって、生まれてきた、心は霊を呼び。肉体は、鍛えしこそ神仏の為なる。)
心に恥ずる処無くば、神仏にもはずる処なし、故に、一動一静、総て神仏の監察する処、報応昭々として毫厘も赦さざるなり。
(人間として、正道を歩むことが、神仏先祖への、礼であり人間として邪道に歩かなければ、すべて天地神仏の知る処である。正道を外せば、必ずや罪となり、罰される。)
故に、天地を敬い、神仏に礼し、祖先を奉じ、双親に孝に、国宝を守り、師を重んじ、兄弟を愛し、朋友を信じ、宗族相睦み、卿党相結び、夫婦相和し、人の難を救い、急を援け、訓を垂れて人を導き、心を至して道に向い、過を改めて自ら新にし、悪念を断ちて、一切の善事を、信心に奉行すれば。
(人、生れて、敬う祖先に感謝、両親の愛に孝と思う、犯罪を犯さないことが、孝を守るということである。幼き日々の教えを講じた、師の思いを兄弟共々に教えを乞う。成長するにつれて、人としての家庭を持ち、過ちを常に犯さず、心新たに正道に向かい、生きていくことである。)
人見ずと雖も、神仏既に早く知りて、福を加え、寿を増し、子孫を益し、病い減り、禍患侵さず、ダーマの加護を得られるべし。
(人間は、悪行を尽くすほど、罪が深くなり、人間としてなんのために生まれてきたのか、と疑問するものである。善行を積めば積むほど、天は必ずや幸せの道を与えてくれるなり。)
これにて、遅ばせながらの四月便りを公開致します。
平成にありがとう。
また新しい、時代、令和に向かって精進致し候。
愚生 西山 俊一郎